それが女というものなのだろうか。女はいつも自分をこぼしている。43p
どうも!
最近インスタグラムが楽しいしらおです。
この記事では、海からの贈物という本の感想を書き留めています。
冒頭の引用文。
この一文にピンときた人は必読の一冊です。

薄くて軽い、131page。
以前から関心のあった、環境負荷の少ない選択(簡単に言うとエコ)について投稿するようになってから、素敵な発信者さんの存在をたくさん知りました。
この本を知ったのは、そんな素敵な人たちの中のお一人、ちいさんがきっかけです。
サスティナブルな暮らしを発信するちいさんが、女性の生き方にまつわるオススメ本として紹介されていたのが、この海からの贈物という本でした。
ピンときてすぐに注文。
さっそく読んでみたところ、これが自分にとってとても良書で、ぜひブログに載せたい!と思ったのでこの記事を投稿しています。
私はこの本を読んで、こんな気持ちの変化がありました!
- 子育て中、一人になりたいと望むことに罪悪感を感じなくなった
- 夫婦関係が恋から愛に変わっていくことを受け入れられるようになった
- 歳を重ねていくことが楽しみになった
ではでは、印象に残った文を引用しつつ、私の感じたことを綴っていきます。
目次
複雑な生活から簡易な生活へ
生活が何かと気を散らさずにはおかない中で
どうすれば自分自身であることを失わずにいられるか。28p
著者のアン・モロウ・リンドバーグは、6人の子を育てる母であり、飛行士の夫を持つ妻であり、自身もパイロットの免許を持つ飛行士、そして文筆家でもあった女性です。
しらお
この本は、そんな著者が妹と無人島に短期滞在しながら、自分自身であり続けるには?というテーマをもとに展開されていきます。
浜辺で拾うさまざまな貝の特徴と人生をかさね合わせていくのが面白い!
著者の思考は母親としての自分から夫婦関係、そして役割や性別を超えた個人としての充足について……と章を重ねるごとに深まっていきます。
ライフステージによって役割が増えたり減ったりということは誰にでも起こることです。
やりたいことややらなくてはいけないことに対して、体はひとつ。
自分を取り巻く環境が複雑になっていけば、自分を見失うことって、ありますよね。
与えるために満たされる、満たされるために一人の時間は必要
与えるのが女の役目であるならば、同時に、女は満たされることが必要である。
しかしそれには、どうすればいいのか。一人になること、とつめた貝が答える。46p
一人の時間を欲する気持ち。
産後、子供を可愛いと思うより一人の時間が欲しいと思うことの方が多かったです。
当時はそんな自分が異常だと感じていました。
異常だと思っているので誰にも打ち明けられず、ひたすら自分責めの罪悪感。
けれど子どもが4歳になり、この本を読んだ今は俯瞰ができます。
私は子どもに与え続けられるほど満たされていなかったって。
慣れない育児、
終わりのない家事、
馴染みのない土地、
両親も義両親も遠方、
寝不足、
栄養不足、
選択疲れ、
不安と孤独……
そうは言ってもお世話はやめられないし、放棄することも選択肢にありません。
ただ、自分の資本が一方的に引き出されつづけて元本割れしていくような感じ。
そしてそれを食い止める気力すら残っていませんでした。
誰かを愛していても、常に愛していられるわけではない、それが普通だということ。
この本ではあらゆる役割を背負う女性が荷物をいっときでも降ろしたい、一人になって英気を養いたい!って本音を言語化して全肯定してくれています。
自分というものの本質を再び見出すために一人になる必要があるので、その時に見出した自分というモノが、女のいろいろな複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである。49p
夫婦の在り方が変わるのは自然なこと
それは牡蠣で、どれもがその生活を続けていく必要から生じた独自の形をしている。79p
産後クライシスという言葉があります。
出産後、急速に夫婦仲が悪くなる現象を指しますが、私は逆でした。
産後も夫が大好きで、産前のような、お互いを見つめ合ってばかりいられる夫婦でいたかった。
子どもがいる日々はいつまで経っても非日常で、夫と二人でいる時が日常。
夫婦の関係性に変化が起きていくことを受け入れられずに、心のどこかでモヤモヤとしていたんだと思います。(これもまた共有できる人がいなかった気持ち)
この本を読んで、そんな自分にようやく気付けました。
夫婦の関係性が変わることは悲劇じゃないんだと気付かせてくれて、なんだか気持ちが晴れました。
サン=テグジュペリの有名な言葉、愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
これですね、そういうことか!!!という感じ。
結婚生活とそれぞれの自足
我々はそれを今までのもの凄い速度でではなしに、それまでは考えてみる暇もなかった知的な、また、精神的な活動に時間を割いて過すことができる。86p
そして著者は、子どもが去ったあとの中年夫婦についても「人生の午後」と呼んで肯定しています。
今の自分が置かれている状況は段階のひとつにすぎない、ということは大変な時には忘れてしまう事実ですよね。
ここから展開は夫婦関係というくくりから「人間と人間の、人間としての関係」についてへと深まっていきます。
しらお
自足した一つの世界(96p)というキーワードを元に展開されていくのですが、すいません!正直、今の私には何度よみ返しても理解できませんでした。
でも今後どこかのタイミングで読み返したくなるだろうし、そのたびに発見がある予感がしています。
すぐに読み解けない、でも興味をそそられる。そんな本と出会えて幸せです。
著者は妹と過ごした無人島での1日が素晴らしい1日だったと語り、満ち足りた今を生きることを、ダンスを踊るようだと例えています。
ほんのり潮風が香るような清々しい読みごたえです。
この本を読んで自分に起きた変化
ひとり旅を予定に組んだ
コロナ禍で実現するかわからないけど。
気兼ねなく遠くへ出かけられる世界になったら、最低限の持ちものでひとり旅します。(断言)
このくらいの時期にはいけるんじゃないか?と自分なりに想像して、手帳に書き込みました。
持ち物をもっと減らしたくなった
著者は、複雑な生活から抜け出す方法として「持ち物を減らすこと」を一貫して意識しています。
この本を読むときっと何か自分の持ち物を減らしたくなるし、違和感も手放したくなりますよ。
浮き沈みに怯えなくなった
我々の生活が引き潮になっている時に、それをどうすれば生き抜くことができるだろうか。
浜辺にいれば、それが比較的に解り易くて、ここの波一つ立たない引き潮の時には、我々が、普通は知らずにいる、或る別な世界が現れる。
(中略)
海が引いたこの静かな時間は実に美しくて、それは海が戻り始め、波が浜辺を打ちのめして、前の満ち潮の時に残していった黒い海藻の線まで行こうと焦っている美しさと劣らない。110p
生理周期や気圧の変化に振り回されて、パッとしない日。
なぜだか気持ちにもやがかかっているような時期。
そんな、沈んだ時間があります。
そんなとき「早く元気にならねば」と焦っては悪循環を繰り返していました。
気持ちが落ちこむ時期は何もかもイヤになるし、逃げ出したい気持ちでいっぱい。どんな瞬間にも意味はある。なんて、その渦中にいるときは何のなぐさめにもならないわけです。
しかしこの本を読んで、不調なときを「今は潮が引いているんだ」とイメージできるようになりました。
いい悪いでジャッジして「辛い」で終わらせず、寄せては返す波をイメージする。
そうすると、すべての移り変わりがとても自然なことであると感じられます。
しらお
どんな状況でも浮き沈みなく一定のリズムを刻むのは機械にまかせて、人間にそなわった自分固有のリズムがあることを認めることにしました。
認めたからって落ち込んだりイライラしているときに気持ちがやわらぐかどうかは怪しいですが、”いつまでも同じ状態が続くわけじゃない”って海を思い浮かべられることが心強いです。
摂理にしたがって、そんなときは頑張るのを控えよう。
頑張ることを避けられない場面があれば、そんな自分を自分でねぎらって褒めちぎろう。なんかそんな気持ちです。
人間と人間の、人間としての関係
この本が出版されたのは1955年。当時はベストセラーにもなったとのこと。
煩雑さから抜け出したいと思っているのは、現代人だけじゃない普遍的なことなのかもしれませんね。
一方で、社会的な役割に「男だから」「女だから」というだけの理由で差がうまれることを、普遍的なままにしておく必要はないのかなーと思います。
からだの機能的な作りに明確な違いはありますが、違いは単なる違いであって「優劣」を生み出すモノサシとして使わなくてもいいだろうと。
冒頭「女はいつも自分をこぼしている。」と引用しましたが、女だからこぼさなきゃいけないなんてことあるの?こぼさずにはいられないことって性別関係なくあるはず。という引っかかりも自分の中にあったりしました。
男性だとか女性だとか、どちらにもしっくりこないとかそういう「違い」に囚われず、【自分という人間】の得手不得手・【自分ではない人間】の得手不得手をうまいこと補い合うことに集中する。
うまくいえなくて恐縮ですが、そんな世界を私は生きたいなと思っています。